阿波古事記・邪馬台国研究

徳島に移住してから、大変興味深いテーマを見つけました。

倭政権はもともと阿波を中心とした四国山上にあり、それを魏志倭人伝が書き取って、邪馬台国として記された、というものです。

この論には正確な名前がないのですが、邪馬台国「阿波論」「阿波説」と呼ばれているようで、ウィキペディアの邪馬台国の紹介ページにも載っています。ちなみに阿波とは国造が配置された時代からの徳島の呼び名です。

一般に大和政権といえば、奈良京都一部大坂と滋賀を含めた、近畿地方の中で都を転々といどうしていた王朝のように思われますが、実は古事記の上巻(かみつまき)の中で記されている、神話時代と一般にされている者は全部、阿波にあるようです。

そして、その続きの初代神武天皇から15代の応神天皇くらいまでは、まだ近畿地方には100%遷都しておらず、阿波を古都として残しながら近畿地方を開拓していったようです。

現在徳島には複数のこの見解に基づく阿波の国史を研究するグループがあります。講演会や勉強会もだんだんと人気が出てきて、あまり表では離されていない、本当の歴史に目覚めてきた人が多いようです。

私もそうした研究会の一つに入って、また支部を立ち上げて活動しています。

ときおり、活動の様子やご案内、発表した際のレジメなどを掲載したいと思います。

また、電子書籍でこの論をまとめて発表しようとも考えています。研究の初代にあたる先達の多くが近年亡くなられている現状もあります。またそうした方々の出版された書籍が絶版になり高額になって、またそもそも印刷数が少ないので全国には出回りにくいという問題があります。

どこかで誰もが手に取れ、先達たちの意見を整理、まとめをしないと徳島の内部だけでもりあがり広がりを見せない可能性があります。

とはいえ、話半分で、「うーん、本当かな?」くらいのスタンスが最初は良いと思います。自分で様々な活動をして調べてみてそれから納得がいくようでないと、これまで学校で習ってきた先入観を覆すのは難しいと思います。

※そもそも、魏志倭人伝はさておき、古事記の上巻は「あれは神話の話だよ」と歴史研究家には相手にされず、天皇家ですら、初代は神話、2代目から九代目までは「欠史八代」と呼ばれて実在が怪しいとされています。まともに研究されたことすらないのです。

ですので、ぜひ最初は関心を持つくらいの軽い気持ちで始めてください。

徐々に資料なども紹介していきます。

もし四国近辺にお住まいでしたら、次の研究会を是非のぞいてみてください。

これまでの発表論文

地名「 傍示 」に関する簡易な考察(PDFファイル)

地理と国防で考える邪馬臺国へのたどり着き方(PDFファイル)

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