輝写真【天石門別八倉比賣神社】

天石門別八倉比賣神社は徳島市国府町の矢野にあります。

徳島市立考古資料館というところから登っていきます。参道の山道は結構長く、途中むき出しになっている古墳や塚がいくつかあります。

八倉比賣とは天照大神のことであり、阿波の国史を研究している人たちはここに天照大神が眠っていると考えています。


奥の院の五角形の塚に眠る天照大神

実際、奥の院に行くと非常に古い、石版を積み上げて作られた、不思議な五角形の形の塚があり、ここに天照大神が眠っていると考えられます。天石門別八倉比賣神社略記という由緒が伝わっており、この八倉比賣神宮は延喜式神名帳に記載された神社の中で何と最高位の正一位、御祭神は大日孁女命(別名天照大神)となっています。

このオオヒルメの命と呼ばれた天照大神こそが、魏志倭人伝に出てくる卑弥呼で間違いないと阿波国史を研究している者の間では確信が持たれています。

さて、境内の写真ですが、あまりにも荘厳で神気が漂うので写真は撮れませんでした。私はほぼお寺の境内の写真は撮らないようにしており、神社も雰囲気によって写真を控えることが多々あります。この境内はまさにそんな威厳のある、写真だけ撮りにいこうか、なんていうカジュアルな参詣者は寄せ付けない雰囲気があります。

参拝が終わった後、参道を降りました。この日はかなり日差しが強かったのですが、参道は木々に囲まれ、穏やかな冷風が吹いています。ふと上を見上げると写真を撮りたい気持ちになりました。

その時撮ったのがこの写真です。

八倉比売神社参道登り

何か日本の中心点から放たれる、慈愛に満ちた光を受けているようなそんな気持ちになる一枚です。

下の方を見てみるとやはりトンネルのように真ん中にポカっと丸い光が見えます。

八倉比売神社参道下り

そうか、ここは参道でもあり、産道でもある、日本人を皆生み出してくれた母の道でもあるのだなと思いました。

輝写真をご覧ください【徳島県鳴門市大麻比古神社】

今スマホが進化して、昔の高級デジカメにも負けない写真を手軽に撮ることができます。

私もそんな気軽なスマホユーザーですが、どういうわけかときおり光が映りこんで、一般的な感覚から言えばうまく撮れていない写真が良く撮れます。


輝写真(きしゃしん)を紹介します

特に徳島県に引っ越してきてから、お遍路さんの八十八ヶ所にあたるお寺や、記紀神話時代の古い神様をお祀りする神社をよく訪問するようになりましたが、そういう光が映りこんだ写真が良く撮れるようになりました(なってしまいました)。

無理にそういう写真を撮ろうとしているわけではなく、またエフェクトをかけているわけでは決してありません。

ただ何気なく、良いなと思うと光が入り込んでいます。ときどき、いやー、ちゃんと撮らせて!と思うこともありますが、もしかするとこうした光が映りこむ写真も何か見る人を落ち着かせてくれるとか凛とした気持ちにしてくれるとか、そういった効果があるかもしれません。

そこで、そういう写真が撮れるたびに掲載していくことにしました。

【徳島県鳴門市大麻比古神社】

徳島県鳴門市大麻比古神社

徳島県鳴門市にある大麻比古神社は、江戸時代に阿波の一宮とされて、県民の尊崇を集める、特にお正月の初もうででは大混雑する神社です。

参道が非常に長く、境内も広く、また境内の後ろには広大な大麻山が広がり、一時間も登ったところに奥の院がある雄大な神社です。

この写真は、本殿の裏に回ったところにいくつかある小ぶりのお社の一つを撮ったもので、御祭神は「不詳」となっています。

この写真はほとんど光しか写っていないようです。

大麻比古神社は今住んでいる処のすぐ近くなのですが、いろいろあって越してきてから一年半も参詣することができませんでした。

よく来たな、と光がお祝いしてくれているようで、とても嬉しい写真です。

なお、本殿の裏手をもう少し行くと、池があって、小さな眼鏡橋がかかっています。

第一次大戦中に捕虜となったドイツ人が鳴門市坂東の収容所に収容されていましたが、当時の所長の計らいで民間人と相互交流をして異国での生活を苦しくないものにしてあげたという歴史があって、このドイツ人たちが感謝のしるしにこの小さなドイツ風眼鏡橋を作って残していったのです。

大麻比古神社裏手のドイツ眼鏡橋

このドイツ人捕虜たちは楽器も自作してアジアで初めてのベートーベン第九の演奏会もやりました。

うーん、普通にこの池、綺麗に撮れているな・・・いや、これこそインスタ映えしている写真かな・・・