社会観察考の記事を始めます

コロナ禍で大変なときです。

特に日本は一気にこれまで何とかかんとか取り繕ったりパッチを当てたり、あるいは見ないふりをすればどうにかなったところが全部一気に明らかになった感じです。

しかしたまたま国民の目に入ってきたものは話題になりますが、そうでないものは話題にならないわけで、普段は気が付くこともないかもしれません。


人類は「観察」という素晴らしい手法を開発し、この普段は意識に登らない物事を明らかにすることができるようになりました。

正しくは生物は皆観察をする能力がありますが、人間が人間に合う観察方法を開発したと言って良いのかもしれません。

観察の面白さを教えてくれたのは、大学時代に同級生だったAさんです。Aさんはキャンパスの一番高いビルの屋上に登って煙草をふかし、見下ろすキャンパスを歩いている人々を見るのが好きでした。

彼は同級生ではありますが、三つ年上だったと記憶しています。当時、現役で国立大学に入る方は少なかったのでしょうか、現役で入った私をかわいがってくれた、松田優作に似た兄貴のような人です。

最初、彼はきっとやることがなくて屋上でボーとしているのだろうと思っていたのですが、どうも話を聞くと違っているようで、別の学部の学生や教授の顔、彼らが乗ってる自転車やオートバイ、誰と誰が恋愛中か、それも同じ学部ではない学生なのに知っていました。

人間を見ていると面白い。

とつぶやく彼の観察眼には驚かされました。

私も影響を受けて数日屋上に登ってみたのですが、当時、宅録でシーケンサーに打ち込みを作る方が面白く、観察道を極められませんでした。

彼とは卒業後あったことがないのですが、きっと彼はこの特技を生かしているのではないかと思います。

私が観察は面白いと思ったのは海外の院に行ってからですが、観察はいろいろ役に立ちます。アメリカに行ったとき、向こうから歩いてくる見知らぬ多くの人が笑顔で挨拶してくるのに驚きました。

なんてアメリカ人はフレンドリーなんだ!と思うのは早合点です。彼らは向こうから歩いてくる謎のエイリアン(私です)が敵か味方か見極めるため、しゃべってくるのです。

そしてエイリアン(私です)が同じような言葉をしゃべるか観察しているのです。

幸い海外に行ってすぐこのことに気が付いたので、私は鋤や鍬で襲撃されることはありませんでした。服装も日本的なモノはすぐやめて、直ちに地元の中流の人が休日に来ているジーンズとフットボールチーム名のプリントされたスウェットシャツを買いました。

こうすると鋤鍬で襲撃されません(笑)

しかし観察をしないで、自分の思うとおりに生活していた日本人留学生は、中にはレジでお釣りを投げつけられたり、ひどいのはナイフで脅された女の子も数人いました。

観察は身を守ります。

というわけで、現在コロナ禍であぶりだされている社会の赤裸々な姿を時々観察して書いていこうと思います。