神武天皇は実在した―地理で見る阿波倭・邪馬台国の発展と拡張 第五回 鳴門の渦潮で苦労した神武天皇

色々な阿波神武説

神武天皇が阿波に実在したということを阿波倭論から考証しています。神武天皇は阿波に実在していましたが、東征については阿波倭論者の中に異なる考えがあります。

まず、一番「ええええー?」と思うのが、神武天皇はただ阿波の中で戦ったというものです。つまり彼は四国から出て行かなかったのです。この論者はさらに古事記に書かれていることは全て四国で起こったことだと考えています。

阿波倭論者の先駆者たちの多くがこのように古事記で起こったことのほとんどが四国の中だけのことだったと考えています。私も結構参考にさせていただいている笹田孝至氏『阿波から奈良へ、いつ遷都したのか』(2012)株式会社アワードなどもこの考え方です。

この論では白村江の戦いで日本が負けるまで、都はずっと阿波にあったというものになります。白村江の戦いで倭が負けた結果、もっと国力をつけるため(というか見た目のハッタリ力を増やして外国に侵略されないようにするため)大掛かりな都を近畿に作ったという話です。

私も最初は「ええええー?」と思ったのですがそうなのかもしれないという論証が徳島だけを見る限りあるような気がします。結構な数の阿波倭論者がこの説に立っています。ただかなり阿波の地名に詳しくないと若干つじつまが合わないところがあるのと、ではそれまで近畿や中国地方は開拓しなかったのか、という謎が残ります。

つまり大阪や神戸、前回紹介した十代崇神天皇の代の岡山の帰属(桃太郎の鬼退治の話)など、うまく説明できないことになってきます。こうした土地はいきなり600年代に帰属したわけではないでしょう。

それで私は、とりあえず、神武は一度四国から出た、という論を支持しています。四国を出たものの、古都としての阿波は残り、二代目天皇から応神天皇のあたりまでで、奈良京都ではなく、大阪、兵庫、岡山、山陰あたりをまず帰属させたという考えに立っています。

応神天皇あたりまで、阿波と近畿、あるいは四国の他の地域(私は香川の白鳥もこの時期都だったと考えます)と大阪で二都あった、あるいは緩い瀬戸内海連合があったと考えています。

ですのでここからの話はこういうとりあえず神武は四国を出てみた、という論の考証になります。

鳴門の渦潮が手ごわかった

鳴門の高島に宮を構えた神武です。海を見ています。海の向こうには大阪の難波(なみはや)がありそこは広い平野があるという情報を得ています。

誰から得たのかというと先にあっちに行ってしまった天孫族からです。すでに実は天孫の一人、「饒速日の尊(ニギハヤヒ)」が難波に上陸していたのです。四国を出た天孫族は神武が最初ではないのです。

神武が大阪に上陸するとナガスネヒコというニギハヤヒに仕える地元の人間が戦いを仕掛けてきます。その戦いの途中で、ナガスネヒコは、「なんで天孫が二人いるんだ?自分は既に最初に来た天孫に仕えているぞ。お前は誰だ、天孫である証拠を見せろ」と問い詰めます。

ナガスネヒコの話はとても興味深いので、また次回にしますが、神武が東征する前にすでに大阪に天孫族が住んでいて領土をもっていたのは衝撃的ですね。

ただし、神武はニギハヤヒを知らなかったようです。古事記を研究する際に脇に置いておくと便利なのが「先代旧事本紀」という物部氏が書いた本ですが、ここでは、神武もナガスネヒコもニギハヤヒも神武が阿波から来てびっくりした!という描写があります。

噂では聞いたが、実際天孫族が既にいたのを知らなかったことから、神武はこういうと申し訳ないのですが、天孫族の傍流なのではないでしょうか。

本家はさくっと海を渡って先に難波に行ってしまっていました。一方で神武はどうやって鳴門の渦潮を超えていくかすら分からず、考えあぐねていました。

古事記で速吸の門として出てくるのは鳴門の渦潮です。その流れの速さは渓流の激流くらいあります。鳴門の対岸の淡路島南端にある「道の駅うずしお」の裏手に降りていくと、渦潮を目の前で見ることができます。

ちなみに渦潮は一日に二回出来ます。その前後海流が激流に変わります。すごいです!!小舟なんか浮かべたら木っ端みじんでしょう。神武もさすがにビビったでしょう。なにせここはあのイザナギもビビッて禊を「もっと流れの緩いところにしようかな」なんて言わせたところです。

うずしお攻略の達人珍彦(うずひこ)登場

ところが都合よくここに渦潮のことをよく知る人物が現れます。その名も珍彦(うずひこ)!ベタな名前です。そのまんまです。

おそらく渦ができる時間帯をよく知っていたのでしょう。彼の手引きで神武は鳴門を離れて難波に到着します。

途中の経路はかなり端折っていて、まず淡路島に行ったのではないかと思いますが、そう書くといろいろバレるので、あえていきなり難波に到着します(笑)。古事記編纂者も大変です。

これだけの大手柄を演じた珍彦。彼を祀る式内社はどこにあるでしょうか。一応公式には兵庫県の保久良神社(式内社)ということになっていますが、徳島にはないのでしょうか。

徳島の鳴門にある宇志比古神社が珍彦を祀る式内社

私はかねてから宇志比古神社(式内社)という鳴門市にある神社が気になっていました。

宇志比古神社

宇志比古なる人物は古事記に現れないからです。近所にあるのでもう何百回も神社の前を通ったのですが、ウィキペディアで見ると宇志比古は岡山方面を平定した四道将軍の一人などととんちんかんなことが書いてあります(もっともそれはそれですごいのですが)。

ずばり、この宇志比古神社は珍彦を祀る神社なのではないかと思っていました。うしというとスサノオを想い出す人もいると思いますが、それなら八幡神社になっていたはずです。実際、混同があったのかこの神社は江戸時代は八幡宮だったようです。角川地名大辞典36徳島県では祭神は宇志比古と八幡神(スサノオ)となっています。明治期に宇志比古神社になりました。

先に上げた笹田氏の著作に珍彦は「景行紀」では「うじひこ」と呼ばれていると書いてあります。笹田氏もここが珍彦をまつる神社と考えていて、近くにあった西山谷古墳2号墳という奈良の古墳のモデルになったと考えられる古墳が珍彦の墓であるとまで言っています。

西山谷2号墳は道路工事で消失しましたが、石室は完全に保存され、そっくりそのまま県の埋蔵文化財センターのレキシルに移設されていますので誰でも珍彦さんに会うことができます。

西山谷2号墳石室移転展示

彼は物語ではわき役ですが、実は日本国を作るのにかなり大きな役割をしていました。古事記では珍彦はいきなり倭の国造に任命されてしまいます(笑)。先代旧事本紀では大和(奈良)の直部(国造)になっています。

阿波倭論では、倭は阿波、大和や大倭は奈良というように明瞭に分けています。神武東遷後、大倭(奈良)をバリバリ開拓したのはこの珍彦だったようです。

実際は、 国造の制度ができたのはまだだいぶ後のことなので、珍彦の子孫である、大倭氏が開拓したのでしょう。

阿王の墓が神武の墓、そして西山谷2号墳が珍彦の墓。どんどんすごい話になりますが、鳴門近辺を転々としていた神武ですから当然のようにこの地に生きた証が残っているのです。

次はナガスネヒコの話です。私はナガスネヒコが個人的に大好きなので、深堀りしていきます。

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神武天皇は実在した―地理で見る阿波倭・邪馬台国の発展と拡張 第三回

神武天皇すら実在しないと思い始めた日本の知識層

見える物を見ないで、見えない物が見えると言い続けていると結局自己矛盾に陥り、その対象自体を考えるのが嫌になってしまいます。

邪馬台国研究もすでに阿波論以外の人はギブアップした感がありますが、天皇のルーツをたどる場合もそうです。

イザナギ・イザナミからトヨタマヒメ(古事記上巻の範囲)は神話であって、実際の歴史ではないということで、相当多くの人が納得していました。また、二代から九代までは欠史八代と言われていて、実在しないと言われていました。崇神天皇も怪しい、神功皇后も朝鮮半島を征伐したなどと荒唐無稽な神話の世界だということで、倭五王として中国の宋書や梁書に出てくる履中天皇あたりから実在の天皇ではないかという話になっています。

そして遂には初代の神武天皇もいなかっただろう、という話になりつつあります。そんな書物を見たことのある人もいるでしょう。

神武天皇が架空の人物ではないかという根拠は、神武天皇が、大阪南部に進出するいわゆる神武の東征の前に住んでいたところが、「日向」すなわち、多くの人が宮崎県の日向(ひゅうが)だと思っているからです。

宮崎県だと何がまずいかというと、まだこの頃は大和朝廷に従属しない熊襲の皆さんの国だからです。大体北九州のごく一部を除けば、甕棺墓文化という近畿や四国中国では見られない独特の埋葬形式を持った別民族の皆さんが九州の大部分に住んでいたのです。

これはまずい、そうなると神武天皇は熊襲出身ということになってしまう!ということで、この件はタブーとなり、タブーにしておくだけでは皇室の名誉を保つのに足りないので、神武天皇は存在していない、神話の人物だということになりつつあります。

もう少し詳しく古事記や日本書紀を読んだ人がこれはおかしいなと思う点は、彼は東征するにあたって、

〇海は一回しか超えていない。いつどうやって福岡—山口間を渡ったのか

〇高千穂を出て、なぜか宮崎の日向、北部の筑紫、広島のタケリ、吉備の高島とそれぞれ何年か住んだ後、海を渡って大阪の「南部」に侵入した。

〇そうした本州を長い間移動していた際、神武に対して一切の反乱や抵抗が起きていない。

〇最初の進入では現地のナガスネヒコに返り討ちに会い、敗走し、また出直して今度は和歌山から侵入し北上し、ナガスネヒコを討った。

〇大阪近辺ではナガスネヒコだけでなく、ありとあらゆる部族が抵抗した。

これだけ読んでも実におかしいことになります。どういうことかというと、

◇九州と山口の間にも海がある。しかもかなりの難所で簡単にわたることはできなかった。

◇神武の頃、本州の中国地方、四国地方をすんなり通れるほど西日本が統一されていたとは考えられない。まして九州の王がのこのこ出てきたら返り討ちに合うはず。

◇いったん負けて敗走し体勢を立て直すにしても、また九州まで戻ってもう一度出てきたのだろうか?そんなことをしたら戦費も犠牲も多くなるはずである。和歌山に陸路で下がったにしても熊野は現在でも分かる通り歩くのが大変なところで、そんなところに歩いて撤退したら全滅するのではないか?

◇大阪の周辺ではなぜものすごい数の部族が抵抗したのか?

と普通に考えれば疑問がわいてきます。更にツッコミを入れたい場合は、ナガスネヒコの話を深堀りしていくことになりますが、とりあえず、ここまでで神武が九州から来たという話にするとおかしいことになってしまうというのは分かってもらえたと思います。

実は神武天皇とその奥さんアヒラヒメは阿波の人間だった

ところが神武天皇が阿波(徳島)の人で、東征をスタートしたのも徳島から、ただ向かい側の大阪南部に出て行っただけ、と考えると実に上記の謎がスッキリ解けます。

そんなバカなと皆さん思うと思うので、外堀をじわじわ埋めていく方法で議論していきます。

まず神武天皇の最初の妃の名前は古事記では 阿比良比売(あひらひめ) 、日本書紀では 日向国吾田邑の吾平津媛となっています。

日向にいた時にもらったお嫁さんだから、まあ、そうでしょう。ところが、アヒラヒメが祀られている神社は徳島県藍住町の伊比良咩神社(いひらめじんじゃ) しかないのです。全国で唯一です。

普通、八幡神社など見れば分かる通り、人気のある神様は全国いろんなところで祀られますが、アヒラヒメが生んだ息子は、皇位を争い、二号さん(と言って良いのか・・・分かりやすく現代ラノベ風にしています)の息子さんたちに討たれて、長子だったのに二代目天皇になれなかったのです。

すなわち反逆者のお母さんになってしまい、全国で非常に不人気で、これは生まれたところ以外は祀れないということになったのでしょう。

今はゆめタウンという大型のショッピングモールがあって、徳島の中でも比較的人口の多い藍住町。昔は吉野川水系やあるいは河口にかなり近かったようで、戦国時代にできた藍住町の勝瑞城(しょうずいじょう)からは海にすぐ出て行けたようです。細川氏や三好氏はこの勝瑞城を本拠地としていました。

ということで、今の藍住町は当時は日向(ひむか)の吾田(あた)とよばれていたところだったのです!

長髪比米の日向

もう一つ、日向は日向ではなくて、阿波論でいうひむか、という阿波の地名だったことを裏付ける話に日向の髪長媛(かみながひめ)の話があります。

日向の髪長媛は応神天皇に見初められたお姫様です。応神天皇も阿波、特に藍住町に深く関係のある天皇でしたが、それは置いておいて、日向の髪長媛との出会いは次のような話です。

日本書紀 巻第十 (應神天皇)
十三年 秋九月の条に

〔一(ある)は云う、-中略-始めて播磨に至りし時に、天皇(すめらみこと)淡路嶋(あはぢのしま)に幸(いでま)して遊猟(みかり)したまふ。是(ここ)に天皇(すめらみこと)西(にしのかた)を望(みそなは)すに、數十(とをあまり)の麋鹿(か)、海に浮きて来り、便(すなは)ち播磨の鹿子(かこの)水門(みなと)に入る。

伊佐爾波神社より引用

これを簡単に言うと、「兵庫県に応神天皇が初めて行ったとき、淡路島に出て来て、西の方を見てみると数十の鹿が海に浮かんでこちらにやって来た」というものです。

淡路島から西を見て、果たして宮崎県が見えるのでしょうか!?淡路島から西を見てもらえば見えるのは鳴門しかありません!高松や小豆島も見えるでしょうけども(笑)。

いずれにしても絶対に宮崎県は見えません。日向(ひむか)を宮崎県のひゅうがだというのは、後の古事記解釈者の後付けなのです。

なお、引用させていただいた 伊佐爾波神社 は四国の愛媛にあります。門にはこの時の情景を示す波を泳ぐ鹿が彫られています。髪長媛もまた四国のお姫様なのです。

このようにアヒラヒメや髪長媛は四国の人間で、日向はひゅうがなどではなく、ヒムカという今の藍住町に実在した場所だったのです。

さて、ここまでで日向はひゅうがではなく、徳島県のひむか=今の藍住町だということが分かりました。

来週は東征の前に一体どこを神武天皇はうろうろしていたのかを紹介します。

前の記事 「地理で見る阿波倭・邪馬台国の発展と拡張 第二回

PCOCHAでAndroidスマホで外部入力を使って配信するときの注意

五月十日に、POCOCHAで「音楽の朝」を再開しましたが、音が出ないというトラブルに見舞われ、結局テスト放送になってしまいました。

マイクも刺さっているDJセットから線を出して、Androidスマホのヘッドフォン/マイクのミニプラグの穴につないで配信するはずだったのですが、奇妙なことにしゃべっている声だけ流れて、DJセットから音楽を流しても音が聞こえません。

結局半日かかって少しずつ問題を見つけて解決しましたので、同じようなことをやろうと思っている方が同じ問題に陥った時のために、書いておきます。

なお、ここでいうスマホとはAndroidのことです。

1.スマホのミニプラグの穴には4極というプラグを使う。

普通のオーディオのステレオのミニプラグは3極と言って、プラグの先を見ると黒い輪っかが二つしかないですが、スマホ用のミニプラグには4極といって、黒い輪っかが三つあるものを使います。

ヘッドフォンマイクがスマホでは一般的ですが、スマホは四極のヘッドフォンマイクしか使わない前提で作られているため、三極のものを差しても音を流し込むことができません。

この極というものが、一般的に出力L、出力R、アース、入力マイクとなっています。CTIAという規格です。もう一つ規格がありますが、スマホではCTIAがほとんどらしいです。

これが原因なんじゃないかなと思い、すぐに線を買ってきました。買ってきたのは変換用のプラグというよりは、好きな線をそれぞれの極にはまるように差してください、のようなElecomの「映像RCAピンジャックーミニプラグ(4極)変換ケーブル」という線です。

自分の場合DJミキサーからピンプラグでステレオで出力されるのでこれでいいのですが、自分の出力用の線次第で、XX(3極)―ミニプラグ(4極)変換XX というのが必要になると思います。AMAZONで探すといろいろあるようです。

2.スマホ内部のマイクを強制的に切る

ところがこれを差しても、どういうわけか、声はPOCOCHAから聞こえますが、DJセットからの音は聞こえません。しゃべり用に外部マイクを立ててDJミキサーに通していたのですが、試しに外部ミキサーを切っても、しゃべりはPOCOCHAから聞こえるじゃないですか!?

お、おばけ!

と一瞬思いましたが、つまりスマホの外部マイク用の穴が機能しておらず、スマホに内蔵されているマイクが代わりに音を拾っていたのです。

なあーんだ。じゃあ、内部のマイクを切ればいいじゃない?と思ったわけですが、そもそも4極のプラグを差した時点で内臓マイクと、外部入寮とで自動で切り替わるはず。

それが切り替わらない!設定をいくらみても切り替える設定はありませんでした。

調べてみるとAndroidで動画を取りたいけど、音声は外部マイクで録りたい、でもできないという悲鳴のようなQ&Aやブログが非常に多くありました。私の問題も結局これと共通なので、いろいろ読むと、

Androidには、内臓マイクと外部入力を切り変える設定やスイッチはない!!

ガビーン!←いつの時代だ。

ということでした。

しかし捨てる神あれば拾う神ありで、強制的に内臓マイクを遮断し、外部入力だけを受け付けるように切り替えられるアプリがありました。

レッサー音声切り替え – Google Play のアプリ

というものです。

ここでウェブ上で多く、Open Cameraというのが出てきますが、そっちではありません。この問題を解決するのはそっちではありません!Open Cameraアプリで動画を取りたいという方はそっちですが、Pococha配信はOpenCameraを使うわけではないので、レッサーです。

レッサーでぶちっと内臓マイクを遮断することができます。設定は多分、ここまで来た人は直感で分かるのではないかと思いますが、念のためアプリ全体の設定で

「マイク切り替え」

「内臓マイクを無効化する」←これだw

の二つにチェックを入れます。

表に戻って来て、イヤホンの設定をタップし、イヤホン・プラグの種類を「4極(マイク付き)」にします。イヤホンのマイクのアイコンをタップし、イヤホン端子マイクを選択します。

※ちなみにこうすると普通の電話の会話もイヤホンマイクを差さないとできないようになりますので持っていない人は注意です。

これでもう完全に内臓マイクは遮断されます。なぜアプリを入れないとこんな簡単なことができないのか。Androidoはおバカです。

ここまで来たら、外部入力の四極プラグを差し込んでテストしてみます。

POCOCHAでテストしないでも、録音アプリで録音できていればいいでしょう。

おお・・・おおおお←神の雫風に

録音できています。

3.アンドロイドのマイクは全部モノラル

しかし録音してみると何かいつもと違って物足りない感じがします。なんか片側が聞こえていないような・・・

※そもそも自分の場合は、ピンプラグでLRに分かれているので試しに片側だけをマイク入力用に使っていたのですが・・・

そういえば、どうやってステレオでスマホに入力できるんだろう!?

という疑念がわいてきます。今頃になって沸いてきます。

もう一度、四極プラグの構造を書くと、

出力L、出力R、アース、入力マイク

という極が準備されています。なあーんだ。LRあるじゃない?と思ったのですが、これらはスマホからの出力のLRです。つまりスマホをスピーカーやイヤホンにつないだ時出てくるLRです。

外から入力するのはマイク一つだけ・・・

ガビーン!

ということで、Androidの仕様で、入力は一つしかできない、つまりモノラルならできるということです。ステレオで入力することはできません!

おいおいおい、と思いますね。

※SONYのオシャレなXperiaスマホではできるという情報もあります。端子が五極!あるそうです。

ということで、ステレオの音源をスマホに入力したい場合はモノラルにミックスして出さないと片側しか聞こえないという事態になります。

DJミキサーにはモノラルで出すつまみがありませんでした。仕方がないので自分はもう一台ミキサーを出して、Lの出力にLチャンネルもRチャンネルも全部寄せて、そこからマイク入力用の線一本だけにつなぎました。ちなみに一番プラグ根っこに近いところがマイクですので、それに該当する線につなぎます。エレコムの場合、赤の線です(ややこしい・・・)

これをスマホにつないで適宜音量調整をしたところ無事、きれいに録音アプリに音が入りました。

POCOCHAでもきっと問題なく出るでしょう。

※ステレオ音源をモノラルにすると稀に反対の位相同士が音を打ち消しあって音が消えるという面白い現象が出るようです。自分は経験がない(というか楽曲制作の時一応、チェックしてる)です。どうやればできるか分かりませんが、割とよくあるらしいですね。国道や高速道路の騒音を消す為にこの技術が使われています。

まとめ

ということで大騒ぎになりましたが、結論からいくとAndroidはダメな子ね。という感じです。

1.四極の変換プラグ(変換ケーブル)を使う

2.スマホの内臓マイクを強制的にアプリで切る

3.ステレオ入力をモノラルにする

誰もこういうことを書いていないようなので役に立てば何よりです。

配信のメインはこれになりました

一人で音楽のパフォーマンスをやるには、ある程度自動演奏の支えが要ります。

前の記事で、様々な自動演奏の形を紹介しました。多分、後一つを除いて、自動演奏でパフォーマンスをする形式はないと思います。

後一つとは・・・いったい?

電気グルーブとSEKAI NO OWARIには共通点があります。どちらもカッコいい電子音楽をやっているって?その通りです。

ライブ演奏をよく見ると、演奏していない人が一人いるじゃないですか!

電気グルーブの場合は盛り上げ役とでもいうのか、ピエール瀧的存在のピエール瀧がいます。SEKAI NO OWARIには、DJ LOVEという覆面をかぶった人がいます。

ん?DJ?

そうです、DJです。

DJは盛り上げ役+自動演奏の装置を操作する人+アルファの存在です。楽器演奏ではないですが、DJプレイというれっきとしたプレイが定着しています。

DJの使う機器とやり方にはいくつか違うスタイルがあります。

ターンテーブル主体
以前はターンテーブルといってレコードでやることが多かったDJです。今もターンテーブルでやる人は結構いるようです。スクラッチといってきゅきゅきゅきゅっとい言う音を出すあれもターンテーブルだとすごい迫力がありますね。

CD DJ(CDJ)
今はCDやUSBからのオーディオファイルを音源にして行うCDDJ(CDJ)と呼ばれるスタイルが主流のようです。

大体2010年前後のオシャレな海外のDJを名乗っている方たちはCDDJのようです。この機材を販売しているのは、今はパイオニア一強のようになっていますが、少し前までVESTAXというところやほかのメーカーの機器もありました。

CD DJでもきゅきゅきゅっとスクラッチができます(ただし初期の古い機器はできないものがある)。また、フランジャーやフィルターといった音を変化させるエフェクトが付いていたり、サンプリングといってある音を記録し、何度も連続で出せるものがあり、ターンテーブルではできなかったことができるようになっています。

PC DJ
あるいはPCにコントローラーを連結してソフトを駆動して行うPC DJも主流になってきているようです。CDはもう使わないので、コントローラーは本当にスカスカで軽くなっています。曲はPCにデータファイルで保存しておきます。持ち運びはこれが一番楽ですね。

ミキサー

ミキサーはPC DJを除いて、どのスタイルでも必要です。音を鳴らすターンテーブルやCDJと別にミキサーは必要です。PC DJの場合、コントローラーに最初からついています。

ミキサーにはフランジャー、フィルターのようなエフェクトが付いているものもあれば、シンプルなものもあります。DJミキサーにはほかの音楽ミキサーと違う点があります。

1.二つの音源を瞬時に切り替えるフェーダーがついている

2.一台目の音源で外に音を流しながらヘッドフォンで二台目の音源を聞くことができる。

特に二つ目の特徴は、普通のミキサーにはない特徴です。

これは一つの音源をかけながら、その横で次にかける曲の頭を探したり、テンポを合わせたりする作業をするため、このような仕組みになっています。

ということで、どの機材を買うか悩んだところですが、入念に調べると、VESTAXは一度2014年に倒産していて、そのせいか、当時は非常にスタイリッシュだったCD DJができる機器が中古で格安で手に入れられることが分かりました。

運が良ければハードオフやヤフオクで二万弱くらいで手に入ります。

普通はミキサーとCDをかける装置が二台要ります。それで二万弱!です。安い!

ということで買いました。しかも完動品です。意外な落とし穴もちょっとありましたが、1万5千円ちょっとで揃いました。

こんな値段で揃って良いんだろうか?新品で7-8年前に買ったら十五万円くらいだったようですね~

恐るべし、中古のパワー。

これでオリジナル曲を配信していくことにします。



80年代の自宅録音とシーケンサー:現代のシーケンサーは何で劣化した?

自分の80年代に、自分の予算と労力でほぼ完成したた自宅録音システムはこんな感じでした。

QX-21というYAMAHAのシーケンサーを持っていました。これが頼れる相棒です。

これにKORG POLY-800を手弾きして、リアルタイムでまずMIDIデータを録音します。そのMIDIデータでRolandのTR-505ドラムマシンとYAMAHAのTX-81Z、それにPOLY-800をMIDI
ケーブルでつないで同時に鳴らします。

ベースはTX-81Zが8音ポリなので、1音犠牲にして出します。残る7音で刻んだり、アルペジオや白玉をします。ストリングスぽい音はPOLYー800が得意でしたので、そっち担当です。

QX-21に自動演奏でこれらを鳴らしてもらいながら、さらにギターを手で弾いて、それを4トラックのカセットMTRにステレオでどん!と一回で2トラックを使って録音します。

残った2チャンネルを使ってダビングを繰り返してコーラスを作って3チャンネルに収めます。コーラスにはカシオの安いサンプラーSK-1をちょっと工夫すると女性や子どものような声が出たので、それで厚みを出します。半音下げて歌い、元のキーにすると明るい声の良い感じになりました。

重ねたコーラスを3トラックに入れ終わったら、最後の4トラックにメインボーカルを一回入れます。最近やっと自分のシステムの詳細を思い出したのですが、こういうやり方で多重録音をしていました。

これがどんな音になるかは、こちらをお聴きください。80年代中盤(87年の冬ー88年年初に作っていたと思いますが)の実力はこんな感じです。

今はパソコンのDAWでそういう自動演奏部分をやるからなのでしょうか?シーケンサーが弱体化したようです。

2小節しか録音できないステップシーケンサーなんてのが普通で、KORGの廉価なアナログシンセモジュールのVOLCAシリーズはなんと1小節16の音しか録音できません。

なんかおかしくないですか。アナログへの憧れとか回帰とかあるにしても、1小節でフレーズを作るのは難しすぎるでしょう。せめて2小節あればリフが作れるのですが・・・

アナログ回帰もやりすぎるとただ不便なだけで、不便な時代に頭を使ってやりくりして自宅録音をしていた自分はあまり昔に戻りたくないという気分です。



音楽活動に集中しています

音楽活動に集中するため、GWを使って体制を整えています。

固定ページも大分更新しましたのでご覧ください。

久しぶりのソロ新曲「Cum on Feed the Boys」をYoutubeとBandcampにアップしましたのでぜひお聴きください。またBandcampでご支援いただけると助かります。

Cum on Feed the Boys

https://sugaihideaki.bandcamp.com/

Youtube

https://www.youtube.com/channel/UCCgi0UCZWJcE2brvxAezqIw

Bandcamp

https://sugaihideaki.bandcamp.com/

長くじめじめしたトンネルだが必ず光は差す

CoVid-19(新型肺炎、コロナ)の影響で、3月から出演予定した演奏会、サウンドインスタレーションが合計6か所、中止になりました。

楽しみにしていただいていた方、申し訳ありません。けれども今は我慢、持久戦の最中です。新しいことに自宅でいろいろと挑戦中です。

二枚目(通算5枚目)のアルバムも録音を開始しています。9月販売予定です。年1枚のペースを維持したいところです。1枚目(通算4枚目)はアンビエント、環境音楽でしたが、今回はなんと踊れる曲になる予定です。

大学時代に作った3枚のアルバムが、奇跡的にカセットで残っていて、友人たち10人くらいに当時配ったものではありますが、それをデジタルファイルに落としたものを聴いていると、ハウスの一歩手前、トランスの胎動期のような曲があります。

実際、大学卒業時点で仲の良かったベースの方と、その友人のDJの方とでDJのグループを組んで、ディスコでバイトをするはずだったのですが、曲まで宅録で録音した(ビートルズディスコメドレーでした)のに、突如そのDJがお金が貯まったから車屋をやる!と言い出し、抜けてしまい、実現しませんでした。

ということで未完成だった続きをやろうと思います。リズムの速い曲も書き溜めて合って、どういうフォーマットで録音するか悩んでいたのですが、これでいけると思います。

またソロ活動とは別に、上板町で演奏している渋柿隊でもメンバーがそれぞれの自宅で新曲を練習中です。どうぞ演奏できる日を楽しみにお待ちください。

まだ長い暗いじめじめしたトンネルを抜け出られない状況ですが、必ず光は差し込んできます。ぜひがんばりましょう。

音楽雑感を始めることにしました

音楽雑感を書くことにしました。

演奏会が軒並み中止になり、少し時間ができたので、できるだけ毎日、音楽雑感を書いていきます。ときどき、政治・経済・教育雑感になっていることもあるかもしれません。

タグでかき分けますのでぜひ関心のあるトピックがありましたらご覧ください。雑感ですので、スタイルもなく、長さも短いときがあります。

ということで、ライブハウスです。大阪でコロナが感染している中、最初にまるでコロナの感染源のように扱われました。

おいおい、コロナの感染源は中国からの来訪者でしょう?

と誰も正直に声を上げなかったせいですっかり悪者になりました。嘘かホントかネットではギターのケースを持って歩いているだけで、「お前のようなのがいるから、コロナが広まるんだ!」と高齢者に罵られた若者がいるとかいないとか。

危機時に誰かを悪者にして、憂さ晴らしをしたいのは分かりますが、そういう高齢者がジムに通い、バーに通い感染させていたのが愛知県の例で、もう誰かを悪者にしている場合ではありませんでした。

しかしひとつわかったのは、ライブハウスは個人経営が多く、政党によるバックアップもなければ、強力な意見を言える組合もなく、実にロックでパンクな一匹狼だったということです。

悪者にされた業界は、現与党に対する献金が少ない、議員に口利きができない、アンダーグラウンドな人たちがバックに就いていないところでした。

ライブハウスは当然資金繰りなども難しいでしょうから、今後数か月はもたない可能性があります。

社会は与党に献金する団体だけ生き残る傾向が強く、音楽関係者は腹をくくって今までと違うやり方で収入を得ないとまずい、というのをまざまざと見せつけられました。

一方でドイツなどでは芸術家やパフォーマーに手厚い補償がもう出ているというネット情報もあります。

国が芸術やそれにかかわる人間をどう見ているか。今回のコロナでよくわかる事例となりました。