日本語の原型はペルシア語と呉越の通訳者が造った人工的な翻訳語である

菅井英明

本記事の内容を結論から急いで書くと、タイトルで書いたようになる。日本語の原型はペルシア語と呉越の通訳者が造った人工的な翻訳語である。

そう考えられる理由の詳細は後の記事で追加することにする。現在、中東で大規模な戦争が起こる可能性があり、遺跡や碑文が大量に失われる可能性がある。そうなる前に、とりあえず骨子だけは緊急に記しておきたい。

ペルシアとの時代的背景

ペルシア語は印欧語であり、その中でインドーペルシアンと呼ばれるサブグループに属する。一番近いのがサンスクリットであるが、ペルシア語自体が「アヴェスタ」と呼ばれるかなり古い経典があるため、古い形を再現することができる。

日本語と関係があるのはアヴェスタの時代ではなく、弥生時代の紀元前200年ー飛鳥時代ではないかと考える。

シルクロードと言うと砂漠の陸路を想い出すが、確かにその経路も古代からあって、中国の山東省のLinziで約2500年前の漢代の遺跡からは欧州人の人骨が多数発見されている(植田 2009)。

海のシルクロードというのもあって、縄文時代にすでに黒潮(暖流)を使って縄文人は伊豆諸島から自由に太平洋上を移動できた。

三万年前に台湾から与那国島に丸木舟で来られたかを丸木舟を作って実験した結果ではきちんと与那国島に到着できることが立証されている(Science Portal 研究は日本の科学博物館の海部陽介による)。

縄文時代はもっと航海の技術が進んでいるはずで、沖縄諸島から台湾あるいは江南、ベトナム、フィリピンに黒潮を利用して点々と泊まりながら行くのは容易だったろう。

黒潮は季節によって逆向きに流れるので、それに乗ってカツオは日本の西日本と東北を行ったり来たりする。江南や与那国島から日本に戻ってくるのも難しくなかっただろう。

弥生時代になると、大陸の呉越の民と倭人は福建省、広東省からベトナムに貿易港を多数持っていたと考えられる。

当時倭人は百越と呼ばれる中国南部に住む100の部族の一つと中国の歴史書の研究からみなされている(鳥越 憲三郎説)。彼らは揚子江下流、江南やベトナムに拠点を持ち、本国の日本との貿易を担っていったのであろう。

ここには倭人や渤海の商人だけでなく、フィリピンやタイ、インドを経由して様々な国の貿易商が結集していたと考えられる。山東省の沿岸部に漢代に欧州人が進出しているのであるから、中国沿岸部の主要な港にはどこでも多くの欧州人がいたであろう。

現在の日本語の原型はこのような他民族との交易のための言語として生まれたのである。

他言語との比較

その中でもある時代のペルシア語との関係が考えられるのは、機能語が日本語にそっくりだからである。ペルシア語を紹介する前に簡単にある言語と他言語との比較はどのように行われるかを記そう。

比較言語学では200あるいは400の基礎語彙を比較して、まず二言語間で意味がほぼ同じで形が似ている語を比較する。これらは共通の親から出てきた子どもたちであり、同根語(cognates)と呼ばれる。

基礎語彙には数字や親族、自然といった、どの民族でも使うだろう語いが選ばれていて、文化的な道具や思想・哲学に関するものは、「借用」と言って、文化流入のせいで同じものを使うようになった可能性が高いので排除する。また動詞や形容詞よりも名詞が多い。動詞や形容詞はその状況から人類が普遍的に感じるものがそのまま音になることがあり、人類の普遍性による共通語を排除したいからである。

二言語間あるいは多数言語間の同一の親を祖語と呼ぶ。道具や思想の名詞、普遍性による形容詞や動詞を排除しても、祖語が同じであれば音の形態が似ている同根語がいくらでも見つかる。

しかし日本語の場合、どの近隣語でも同根語が見つからない。近隣は諦めて、はるか遠くに求めても見つからない。様々な言語から数個は疑わしいものが見つかるが、例えばサンスクリットとペルシア語のようにぞろぞろそっくりなものが見つかるわけではない。

そのため、基礎語彙は諦めて、語順に着目する研究者が多い。そうすると<主語ー目的語ー動詞>という並びから朝鮮語、モンゴル語、トルコ語、ビルマ語と似ているとなるが、同根語が見つからない言語間で親族関係を認めることはできないので、日本語は親族がいない「孤立語」であるというのが、言い方は悪いかもしれないが「正統な」言語学研究の結果である。

遺伝子研究からの方向性

このように親族が見当たらないため、日本ではこの比較言語学といわれる分野が遅れに遅れてしまった。研究者もほとんどいないのである。そのため、基本的なトレーニングを受けていない研究者があの言語に似ている、似ていないと言い始め、特に朝鮮語やモンゴル語と似ていると信じてやまない者は多い。

それを打破する方向性が遺伝子研究のほうから出てきている。民族間の遺伝子の比較は既に終了の段階に近づいている。その結果分かったのが、女性にだけ遺伝するミトコンドリアの形質から、日本人の多くは、揚子江南部やベトナム海岸に多く見られる遺伝子を持ち、男性はY染色体の比較から、もっと広範囲に中東、イタリア、インド南部、チベットに同一の遺伝子を持つ民族がいることが分かった。

遺伝子による比較研究を歴史的な民族の拡散の研究に応用することについては、いくつか注意すべき点はあるのだがそれはまた別記事で記すことにして、女性の方の研究はイネの遺伝子の研究結果と一致している。稲作を持ち込んだのは長らく誤って信じられていた朝鮮半島の人々ではなく、中国の南部、あるいはベトナムの沿岸部の女性だったのである。

そして男性もみんながみんな朝鮮半島から馬に乗ってやってきたわけではなく、アフリカを出た後、中東を通り、インドの南部を周り、船でおそらくフィリピン、インドネシアにたどり着きそこで休憩し、そこからベトナムや呉越に昇り、おそらくそこで倭人や呉越の女性をたくさん乗せて黒潮に乗って一緒に日本にたどり着いたのである。

一部は厳しい山岳地帯の北回りでチベットの方を通って日本を目指したが、成功した者もいるだろうが、他民族に阻まれ多くは日本にたどり着けなかったのかもしれない。そのため遺伝子も向こうに取り残されたのである。

このように遺伝子研究が日本人のルーツを次々と明らかにしているのに、言語学の方は何ら進展がない。比較言語学の基本を飛ばして朝鮮半島と中国から文物は来たという昭和史観にいつまでも囚われているからであろう。

朝鮮半島と日本の間には対馬海流が流れている。また別記事で詳しく書くが、西から東へ流れる海流の流れが丸木舟で焦げるスピードより早く、釜山を漕ぎ出すと、東に流され、日本海の何の島もないところに流される。そのため朝鮮半島から直接日本には来ることが ほぼ できなかった。もしできるのであれば遣隋使、遣唐使も対馬を往来するが、その時代であっても朝鮮半島との往来で何度も失敗し、確実だったのは黒潮に乗って南を行き来するルートだった。

後の時代に山田長政がタイのアユタヤに日本人村を作ったり、インドネシアのスマトラ島が東西の交易の要所になっているのもこうした海のシルクロードが発展していったものである。

大野晋とグリーンバーグ

言語学の世界で二つだけ、遺伝子研究の結果と矛盾しない研究が出ている。一つが90年代に一般書籍化された大野晋のドラヴィダ語説である。ドラヴィダ語はインドの南部で話されている。この書籍が出た当時、大野氏の説はほとんど荒唐無稽な説と思われていた。また大野氏が正式な比較言語学の手順を知らないため、基礎語彙の比較をしていなかったり、単に語頭の音が同じで語の形が似ているペアを同根語のつもりで並べたりするだけで、それ以上の説得力がなかった。

それ以上に進むには、なぜ言語Aの音が言語Bでは別の音に代わるのか、自然な音変化のルールを規則的に見つけなければならず、それは語頭の音だけでなく、語中、語末、すべての場所の音でである。

しかしそれには正当なトレーニングを受ける必要があることと、膨大な時間がかかる。そのため最初にすることはやはり基礎語彙200か400の比較であり、大野氏はこれを飛ばしてしまった。おそらく見つからないのであろう。

もう一つはジョセフグリーンバーグの説で、日本語、アイヌ語、朝鮮語は他の周辺言語と一つのグループを作り、それが印欧語と結びつくという説である。これも90年代にアメリカの大衆科学雑誌に掲載されて話題を呼んだが、ほとんど正当な比較言語学の手法を無視した説である。そもそもアイヌ語も孤立語とされていて、日本語との同根語が余り見つからない。同じ音と意味のペアになる物の多くは道具の名前であり、東北地方の日本語からの借用である。そのように似ていない言語をいくら集めても、地理的に近いという特徴しかなく、共通の祖語を持っているわけではないのである。

ペルシア語の立ち位置

簡潔に書こうと思っていた本記事だが、やはり前置きがないと何のことか分からないので、前置きを書いた。日本には比較言語学を知っている言語学者はほとんどいない。私はハワイ大学マノア校博士課程で比較言語学のトレーニングを受け、マラヨ・ポリネシアン(のちのオーストロネシアン)語族の研究をされている教授陣の元、日本語の可能性について、オーストロネシアンやLISUという中国南部、ベトナムに住む少数民族、そしてチャムというカンボジアに住むムスリムの民族との比較を試みた。しかし、予想通り、同根語がそれほど見つからないのである。

その後、日本語教育に転向したのでしばらく考察する機会がなかったのであるが、遺伝子研究が描く、男性は船で南インドから来て、途中ベトナム江南で女性を拾って日本にたどり着いた日本人成立の設計図が事実とすれば、言語研究も先に進めると考え、グリーンバーグの説を掘り下げるのがもっとも答えに近いと考えるようになった。

というのも海のシルクロードが弥生時代には完成していたならば、南インドに中東から航海できるのは、アラブ・ヘブライと一部アフリカ言語のセミティック民族か、後にペルシアを築く印欧語族のアーリア人しかいないだろうということと、もし南インドから更にインドネシア、フィリピン、南中国にいくなら各所に通訳翻訳者がいて、彼らは自分たちの言葉をベースにした共通翻訳語をリングアフランカとして使うだろうと想定できるからである。

あまり言い方は良くないが、現代的に言えば各国の移住斡旋者がこうした港にはたくさんいて、複数の言語を操り、簡略化した言語で異なる民族間同士で意思疎通をしていたはずである。

そのように考えると万葉集に現れるころの日本語の中に、そうした通訳者が使っていた言葉が残っているのは普通に考えられることである。

その足掛かりとして目をつけたのが、現代の印欧語の分布では最東端となるペルシア語である。

念のため書くと、ペルシア王国は前634年には存在が確認されている。弥生時代の始まりは教科書に載っている昭和史観とは違って、現在では前900年ころとされている。その頃はペルシアはまだなく、同じアーリア人であるメディア人がイラン高原に定住し、やはり同じアーリア人であるスキタイ人などが遊牧を行って生活している。

本記事ではメディア人やスキタイ人が活躍した地理的空間を便宜的にペルシアとする。アーリア人としてしまうとほかの印欧語族のことも思い浮かべてしまうためである。

ペルシア語との比較

比較に適するのは万葉集程度の時代のペルシア語である。同一の時代はササーン朝ペルシアの時代(224-651)でそこで話されていたのはミドル・ペルシアンと呼ばれるものである。これは現代使われているニュー・ペルシアンにより近い。これより古いペルシア語はオールド・ペルシアンと呼ばれて、よりサンスクリット語に近い。オールドからミドル・ペルシアンになるときにサンスクリット語が持っていたような複雑な文法のほとんどが無くなった。

現代語であるニュー・ペルシアンは、8世紀にはでき上っていたと考えられる。記紀の時代である。イスラムが到達したため大量のアラビア語が流入するが、文法的には現代ペルシア語と同じである。一般的なイラン語の教科書では、イラン高原は交易の要所であり、多数の民族と交易する中でドンドン言語を簡略化したのだと記されている(浜畑 p.10)。具体的にどの言語と接したからどの文法が消滅したかの研究が待たれるところである。。

本記事では日本語古語、方言とをニュー・ペルシアンと比較する。また中国南部やベトナムで通訳の間に入ったと思われる呉越の子孫である広東語、福建語も必要な時紹介する

基礎語彙においては同根語と思えるものは多くはない。しかし興味深いものがある。

ぺ  日  広  福

yek ichi yat jit “one”

se san saam sa “three”

dah too sap zap “ten”

数字の1と3はこの四言語で非常に似ている。ちなみにサンスクリットとオールド・ペルシアンと印欧語祖語では、

サ  オ・ペ 印欧

eka- aeeva óynos ”One”

trīṇi θrayō tréyes ”three” dáśa dasa déḱm̥t “ten”

参照 Indo-European vocabulary, Wikipedia

日本語には他に「ひふみ・・・」と数える数字があるから、「いちにさん・・・とお」と数えるのは中国語からの借用であると一般的には考えられるが、ペルシア語の一が日本語と中国南部方言と同じだったり、十が日本語と同じだったりするのはどういうことであろう。形が似ているサンスクリットや印欧祖語を捨ててまで・・・考えられるのは三者が交易目的で同じ場所で接触をしていたということである。

機能語の著しい相似

形態的にも用法的にも以下のペルシア語の機能語が日本語に相似である。

①動詞の否定

動詞を否定するにはna-を動詞の前につける。

日本語 動詞+ない

➁まだ完了していない動作、状況を表す動詞にはmi-を語幹につけて現在形を作る

日本語 未 (未完成)

➂特定の目的語をフォーカスする際にlaをその名詞の後につける

日本語共通語には目的語「を」をフォーカスする助詞はないが、東北の宮城方言では「ば」を目的語の後につける。

あいづば学級委員にすっぺ 「彼を(彼出ないとダメ)学級委員にしよう」

④文で名詞を修飾するには間にkeを入れる。

日本語は修飾文が直接名詞にかかるが、制限的な用法として古語から「が」がある。「が」の後は名詞か形用表現が来る。文は通常「が」の後は来ない。

いばらの道を歩むが男の道/いばらの道を歩むがよい

?いばらの道を歩むが田中が目指していることだ

名詞と名詞をつなげるにはエザーフェと呼ばれるe(またはyとeの組み合わせ)を入れる。日本語は「の」であるが、広東語、福建語が興味深い。

㊄名詞の名詞に当たるe(エザーフェ)

ぺ 日 広 福

e no ge ee

広東語のgeも福建語のeeも修飾文と名詞をつなぐことができる。

⑥勧誘のbe-

一人称複数形の前にbe-をつけると勧誘になる。東日本では誘いの意味で動詞後に「べ」をつける。

図書館さ行くべ 「図書館に行こう」

㊆比較には形容詞の後にtarを付ける。最上級にはtariinを形容詞の後に付ける。

日本語では名詞の後に「より」を付ける。用言や文の後に付くこともある。

また、「足る」には「数、量が十分である。満ち溢れている」(p.553「講談社古語辞典」)という意味がある。

⑧名詞に-iを付けると形容詞を作ることができる

日本語は逆に「い」で終わる形容詞に「さ」をつけると名詞になると考えられているが、方向性が逆かもしれない。

大きさ(名詞)→大きい(形容詞)

古語では「おほきさ」(古事記)も「おほき」(古事記)も存在している。 (p.174「講談社古語辞典」)

㊈ペルシア語は基本的な動作を表す動詞であっても単独の語幹が無いものが多く、名詞や形容詞に”kardan”「する」”shodan”「なる」を付けて複合動詞としてあらわされる。

日本語では現代語は「勉強する」のように「する」を使い、古語では「す」が「漢語などについて複合動詞を構成することがある」( p.469「講談社古語辞典」)

⑩叙述文の現在三人称単数はastである

このastは印欧語祖語”hes”から来ている。 古英語の”is”である。 日本語の叙述は「す」が使われ、「ある状態・気持がある」 ( p.469「講談社古語辞典」)という意味である 。これはあまり数多くはない中での希少な日本語と印欧語との直接の同根語と考えられる。

⑪移動の目的地は前置詞beで表す

前置詞beは「~に、~へ、~で(手段や道具の「で」)」の意味があり、移動の目的地を指し、日本語の「へ」と同じである。

今後の調査

機能語について簡潔に見るだけでこれほどの音の形態と意味と機能が合致する機能語がペルシア語と日本語に存在する。従来のようなモンゴル語や朝鮮語と似ているという話は、文法的な機能が同じなだけで、音の形態が同じものを見出すことはできない場合がほとんどである。

中には中国南部方言と同様の音の形態と機能を持つ機能語が見つかることから、更に中国南部方言の基礎単語や道具や文化、制度を含む借用語についても比較検討したい。また従来日本語古語を知っている研究者は日本語学者や文学者であって、比較言語学のトレーニングを受けてなかったので、多言語との比較研究に参入できなかったが、このように南中国で印欧語と中国語方言そして倭人の日本語古語が接触していたと考えると日本語古語研究者が参入できる可能性が大幅に広がる。交易には商品は当然であるが、仏典や仏具、哲学なども時代的に含まれていた可能性があり、この方面の研究も大いに期待できる。

なお、本時期では便宜上ペルシア王国のペルシア人が交易をおこなっていたように記述してきたが、インド西岸にいたのは同じアーリア人のサカ人と呼ばれる元はイラン平原にいたが南下してそのままインド西岸に定着した部族である。彼らは仏教に帰依し、積極的に布教もしていたようで、ペルシア湾岸とフィリピン・インドネシアをつなぐ交易の主体はこのサカ人(サカは「鹿」という意味であり鹿を崇拝していた可能性がある(青木 p.35-36))だった可能性が高い。

今後は海のシルクロードとその担い手たちとその拠点に焦点を合わせることで、倭人がどのように日本語を形成していったかの詳細がよりはっきり見えてくると信じる。

なおこの記事は緊急性を重要視して、ペルシア語の例文などを記さなかったが徐々に付け加えていくつもりである。

参考文献

青木健『アーリア人』2009 講談社選書メチエ

植田信太郎 2009「古代中国人類集団の遺伝的多様性とその変遷ならびに生活史の解明

佐伯梅友・馬淵和夫編  1969 『古語辞典』講談社

浜畑祐子 2018 『ニューエクスプレス+ペルシア語 』 白水社

吉枝聡子 2011 『ペルシア語文法ハンドブック』白水社

Indo-European vocabulary Wikipedia 2024/08/05

Science Portal 『3万年前の航海、丸木舟で完遂 科学博物館チーム、台湾から沖縄・与那国島に到着

2024・8・5

日本語動詞終止形におけるrの機能と意味について

菅井英明

現代日本語の動詞の辞書形(終止形)は-ruで終わるものと、rがない-uで終わるものの二つのグループに分かれる。そのため日本語教育ではru-verb、u-verb(る動詞、う動詞)などと分けて、形の違いを教えるが、そのrのあるなしで意味の違いがあるとは教えず、ただ活用する際に形に違いが出るとしか教えていない。

しかしこれだけ体系的にそして広範囲に同一の形態素が存在するということは何らかの機能や意味が存在するはずである。本記事ではこの「r」には、話者に向かって対象の物が向かってくることを表す機能があることを確認し、そこから二次的な意味として再帰動詞的な意味にも使われることを検証する。

「r」のない動詞にはそうした対象が向かってくるという意味合いがない。話者のいる場所に密着していたり、 心の内面に 自発的に発現したり、 「r」とは逆に話者から離れたほうへ対象がいく場合に 「r」 のない動詞が使われる。

検証に使用する動詞は現代語を基本とするが、古語でもすでに「る動詞」は存在しており、現代語で 「r」 がついていてこの原理に該当しないように見える動詞も遡ると 「r」 は元々なかったものが多くある。そのようなものは物の移動に注目した類推が発達して 「r」 が現代語に付くようになったと考える。

なお、この形態素 「r」 の研究は今後日本語の起源を考える際に重要となる手掛かりとして多言語との比較考察をしなければならないものと考える。

「る動詞」と「う動詞」の意味の違い

「r」 の基本的な機能と意味は次のペアに見ることができる。

来る VS 行く

来るは何か物や対象が話者の方に向かってくるのである。行くは逆に対象が話者の方から向こうに行くのである。これが 「r」 のあるなしの原則的な意味の違いである。

このような意味を持つペアは無数にある。

取る VS 離す、逃がす

貼る VS はがす

着る VS 脱ぐ

釣る、吊る VS 落とす

切る VS 縫う、つなぐ

はねる VS 飛ぶ (油などが)

物が密着している場合

対象がこちらに向かってくるのではなく、すでに密着していたり、話者のいる場所に存在する場合は、 意味が対立するペアでも「r」 が使われない。次のペアは意味は対立するがいずれも対象のものが最初からすでに一点に密着している例である。

刺す VS 抜く (壁に釘が既にある) 

押す VS 離す (壁にスイッチが既にある)

密着している対象物でも外部の強固な無理やりの力により物が動くような場合は 「r」 がつく。

ひねる VS 回す (水道の栓を)

割る VS 崩す、ほぐす

削る VS はがす

心理的な状態のペア

心理的な状態で類似の意味に思えるが要因が外部から来るものと内面から自発的に起こるものとで異なっているペアが多い。

知る VS 学ぶ

考える VS 思う

憶える VS 思い出す

また内面から自発的に起こる感情には、 「r」 が付いてないが、それらの感情が起こる原因が外部から来ていることを示す場合は「使役」を使う。

悩む VS 悩まされる

喜ぶ VS 喜ばされる

泣く VS 泣かされる

苦しむ VS 苦しまされる

意味の対立するペアがない場合

意味の対立するペアが無くても上記のような外部の強い動きで物が運動すると 「r」 がつく。対立する意味を作るには受動態「られる」を用いる

殴る VS 殴られる

蹴る VS 蹴られる

など

再帰用法

動作をすることが自分の体や心に影響を及ぼす再帰用法が 「r」 にはある。 スペイン語 等の再帰動詞がある言語で見られる典型例が日本語でも「る動詞」に多く見られる。

起きる、寝る、眠る、剃る (ひげを)、着る(服を)、見る(鏡を)、滑る、倒れる

例外と思えるものについて

①古語では存在した対立が消滅した例

現代語においては 「r」 のあるなしが原則と合わず、おかしい動詞であっても多くは古語をみることで、原則に従っているのが分かるものが多い。

出る VS 入る

こちらに物が向かってくる入るは 「r」 があっていいのだが、出るは対象物が向こうに行くのだから「r」があるのはおかしいと思うが、古語では「いづ」(万葉集)であり、 当時「r」 は無かったのが現代語では物の移動の面が強調されて類推により 「r」 が付いたのであろう。

「投げる」も対象物が向こうに行くので 「r」 があるのはおかしいのだが、古語では「なぐ」(古今和歌集)であり、「いづ」と同じ理由で類推により 「r」 が付いてしまったと考える。

掘る VS 埋める

掘り出される土の出入りに着目すると両方に「r」 があるのはおかしい。埋めるの古語は「うむ」(宇津保物語)なので古語には 「r」 がなかったのだが、掘った穴がこちらに近づいてくるのが「掘る」で、埋めると穴が遠ざかっていくのが「埋める」と考えるのかもしれない。

売る VS 買う

物が出ていくのが売るで、物を手に入れるのが買うなので、まったく形式が逆転しているように思える。古語においても「売る」(古今和歌集)「かふ」(竹取物語)となっている。売買は物に注目したのではなく、交換することによって入ってくる貨幣に注目したものなのかもしれない。

➁再帰性があっても 「r」 がない動詞

「体を洗う」や「体を拭く」などはスペイン語などでは再帰動詞を用いるが、日本語では再起の形式になっていない。

「食べる」は元々「くふ」(源氏物語)なのだが、再帰の意味から 「r」 が付いたと考えられるが、「飲む」(万葉集)は 「r」 が付かなかった。東北方言では現在も「くう」なので、飲食については再帰性が当てはまらないのかもしれない。「吸う」「吐く」なども 「r」 がない。

日本語では対象物の移動の度合いに着目し、再帰の意味は二次的に派生したものなのであろう。 体を洗うや拭くは大きな移動を伴う動作と考えず、直接口に器を当てて食べたり飲んだり吸ったりする行為も何か物の移動があるとは思われなかったのかもしれない。

結語

以上、 動詞の終止形「r」についての検証を行った。 「r」 は対象物が話者の方向に向かってくる様子を表したものであり、その方向性がない動詞には 「r」 がつかない。そこから二次的に再帰の意味が生まれ、話者が自分の体や心に対して外部から影響を与える動作についても 「r」 が使われるようになった。

一方で対象物の方向性が逆であったり、密着していたりする 物や状況 、あるいは心理的な自発的に発現する感情には 「r」 はつかない。

「r」 が独立した機能語で あることが判明したおかげで、日本語祖語を探す際に同様の機能語を持つ言語との類似性を研究することができるようになり手掛かりが増えたのは喜ばしい。

2024/08/04

※古語の確認には1969佐伯梅友・馬淵和夫編「古語辞典」講談社を用いた。

※筆者は現在大学や研究機関に所属しておらず、詳細な文献検索ができないため、仮に類似の先行研究があった場合であってもそれらにはアクセスができず、本記事における内容は引用がない限りすべて独自の研究により導き出されたものであることをお断りしておきます。