菅井英明
現代日本語の動詞の辞書形(終止形)は-ruで終わるものと、rがない-uで終わるものの二つのグループに分かれる。そのため日本語教育ではru-verb、u-verb(る動詞、う動詞)などと分けて、形の違いを教えるが、そのrのあるなしで意味の違いがあるとは教えず、ただ活用する際に形に違いが出るとしか教えていない。
しかしこれだけ体系的にそして広範囲に同一の形態素が存在するということは何らかの機能や意味が存在するはずである。本記事ではこの「r」には、話者に向かって対象の物が向かってくることを表す機能があることを確認し、そこから二次的な意味として再帰動詞的な意味にも使われることを検証する。
「r」のない動詞にはそうした対象が向かってくるという意味合いがない。話者のいる場所に密着していたり、 心の内面に 自発的に発現したり、 「r」とは逆に話者から離れたほうへ対象がいく場合に 「r」 のない動詞が使われる。
検証に使用する動詞は現代語を基本とするが、古語でもすでに「る動詞」は存在しており、現代語で 「r」 がついていてこの原理に該当しないように見える動詞も遡ると 「r」 は元々なかったものが多くある。そのようなものは物の移動に注目した類推が発達して 「r」 が現代語に付くようになったと考える。
なお、この形態素 「r」 の研究は今後日本語の起源を考える際に重要となる手掛かりとして多言語との比較考察をしなければならないものと考える。
「る動詞」と「う動詞」の意味の違い
「r」 の基本的な機能と意味は次のペアに見ることができる。
来る VS 行く
来るは何か物や対象が話者の方に向かってくるのである。行くは逆に対象が話者の方から向こうに行くのである。これが 「r」 のあるなしの原則的な意味の違いである。
このような意味を持つペアは無数にある。
取る VS 離す、逃がす
貼る VS はがす
着る VS 脱ぐ
釣る、吊る VS 落とす
切る VS 縫う、つなぐ
はねる VS 飛ぶ (油などが)
物が密着している場合
対象がこちらに向かってくるのではなく、すでに密着していたり、話者のいる場所に存在する場合は、 意味が対立するペアでも「r」 が使われない。次のペアは意味は対立するがいずれも対象のものが最初からすでに一点に密着している例である。
刺す VS 抜く (壁に釘が既にある)
押す VS 離す (壁にスイッチが既にある)
密着している対象物でも外部の強固な無理やりの力により物が動くような場合は 「r」 がつく。
ひねる VS 回す (水道の栓を)
割る VS 崩す、ほぐす
削る VS はがす
心理的な状態のペア
心理的な状態で類似の意味に思えるが要因が外部から来るものと内面から自発的に起こるものとで異なっているペアが多い。
知る VS 学ぶ
考える VS 思う
憶える VS 思い出す
また内面から自発的に起こる感情には、 「r」 が付いてないが、それらの感情が起こる原因が外部から来ていることを示す場合は「使役」を使う。
悩む VS 悩まされる
喜ぶ VS 喜ばされる
泣く VS 泣かされる
苦しむ VS 苦しまされる
意味の対立するペアがない場合
意味の対立するペアが無くても上記のような外部の強い動きで物が運動すると 「r」 がつく。対立する意味を作るには受動態「られる」を用いる
殴る VS 殴られる
蹴る VS 蹴られる
など
再帰用法
動作をすることが自分の体や心に影響を及ぼす再帰用法が 「r」 にはある。 スペイン語 等の再帰動詞がある言語で見られる典型例が日本語でも「る動詞」に多く見られる。
起きる、寝る、眠る、剃る (ひげを)、着る(服を)、見る(鏡を)、滑る、倒れる
例外と思えるものについて
①古語では存在した対立が消滅した例
現代語においては 「r」 のあるなしが原則と合わず、おかしい動詞であっても多くは古語をみることで、原則に従っているのが分かるものが多い。
出る VS 入る
こちらに物が向かってくる入るは 「r」 があっていいのだが、出るは対象物が向こうに行くのだから「r」があるのはおかしいと思うが、古語では「いづ」(万葉集)であり、 当時「r」 は無かったのが現代語では物の移動の面が強調されて類推により 「r」 が付いたのであろう。
「投げる」も対象物が向こうに行くので 「r」 があるのはおかしいのだが、古語では「なぐ」(古今和歌集)であり、「いづ」と同じ理由で類推により 「r」 が付いてしまったと考える。
掘る VS 埋める
掘り出される土の出入りに着目すると両方に「r」 があるのはおかしい。埋めるの古語は「うむ」(宇津保物語)なので古語には 「r」 がなかったのだが、掘った穴がこちらに近づいてくるのが「掘る」で、埋めると穴が遠ざかっていくのが「埋める」と考えるのかもしれない。
売る VS 買う
物が出ていくのが売るで、物を手に入れるのが買うなので、まったく形式が逆転しているように思える。古語においても「売る」(古今和歌集)「かふ」(竹取物語)となっている。売買は物に注目したのではなく、交換することによって入ってくる貨幣に注目したものなのかもしれない。
➁再帰性があっても 「r」 がない動詞
「体を洗う」や「体を拭く」などはスペイン語などでは再帰動詞を用いるが、日本語では再起の形式になっていない。
「食べる」は元々「くふ」(源氏物語)なのだが、再帰の意味から 「r」 が付いたと考えられるが、「飲む」(万葉集)は 「r」 が付かなかった。東北方言では現在も「くう」なので、飲食については再帰性が当てはまらないのかもしれない。「吸う」「吐く」なども 「r」 がない。
日本語では対象物の移動の度合いに着目し、再帰の意味は二次的に派生したものなのであろう。 体を洗うや拭くは大きな移動を伴う動作と考えず、直接口に器を当てて食べたり飲んだり吸ったりする行為も何か物の移動があるとは思われなかったのかもしれない。
結語
以上、 動詞の終止形「r」についての検証を行った。 「r」 は対象物が話者の方向に向かってくる様子を表したものであり、その方向性がない動詞には 「r」 がつかない。そこから二次的に再帰の意味が生まれ、話者が自分の体や心に対して外部から影響を与える動作についても 「r」 が使われるようになった。
一方で対象物の方向性が逆であったり、密着していたりする 物や状況 、あるいは心理的な自発的に発現する感情には 「r」 はつかない。
「r」 が独立した機能語で あることが判明したおかげで、日本語祖語を探す際に同様の機能語を持つ言語との類似性を研究することができるようになり手掛かりが増えたのは喜ばしい。
2024/08/04
※古語の確認には1969佐伯梅友・馬淵和夫編「古語辞典」講談社を用いた。
※筆者は現在大学や研究機関に所属しておらず、詳細な文献検索ができないため、仮に類似の先行研究があった場合であってもそれらにはアクセスができず、本記事における内容は引用がない限りすべて独自の研究により導き出されたものであることをお断りしておきます。
